自律する映像

08.06.13


映像表現には、ドラマ、ドキュメンタリーなどと呼ばれる様々なジャンルが存在するが、それらジャンルが映像の可能性全てを表すものではない。
先人の開いたジャンルという名の枠組に入るのももちろん構わないが、ジャンルの外にも空間はあるということには気づいていなければならない。パイオニアが荒れ地を拓かない限り、そもそもジャンルなど存在しないのだから。
イメージフェノメナンの授業は、映像の可能性を広げるための思考回路を持つというところから始まる。実写ベースでの抽象映像表現は、3年生ですら明らかに戸惑いを覚えるようだ。今までに経験したことのないことをやれと言われるのだから、無理も無いだろう。無意識に、しかし間違いなく自分が撮影した素材から4人の講師陣によってその可能性が提示されると、ぼんやりと自分がカメラを向けた理由がみえてくる。再撮影や編集などをしながらさらに議論を進めると、道ではなく着陸点が見えるようになる。そこまで来て、初めて自覚を持って完成まで進むことができるようになる。 本人の明確な問題意識からの制作ではなく、無意識からの作品制作というプロセスに、実はこの授業の特異性と強烈な優位性がある。通常は問題意識の持ち方は教える事ができないが、この授業ではそれがプロセスとして無理なく取り込まれているのだ。このプロセスを経験し学習する事によって、無意識から作品化するための一通りの組み立て方を覚えることができる。しかも他の誰でもなく自分から湧き出たものだ。このプロセスを踏襲した、レベルの高い作品が、授業後も進級制作や卒業制作で数多く生み出されている。 写実中心だった絵画が写真技術の登場と台頭によって危機を迎え、そのことが逆に写実性という束縛から絵画を解放して自律を得たように、CGによって人間が思い描くことができるどんな光景でも作れるようになった今、映像も映像の束縛から解放されるはずだ。 そこには光だけが存在し、現象だけが問題となっていく。それはイメージの純化に他ならない。

武蔵野美術大学映像学科

非常勤講師

橋本典久