映像のマチエールを探す。


RINS-project006にむけて

08.06.13


「映像」という言葉が指し示すものの定義は難しいと思います。社会の中で映像と呼ばれているものの多くは「情報」であり、映像はそれを運ぶ手段として使われているに過ぎないのかも知れません。では、映像に実態はないのでしょうか。映像そのものの魅力や存在感を表現することはできないのでしょうか。そのことにRINS-factoryは挑戦しているように思います。  その挑戦の一形態が「映像の空間化」です。典型的な例が、オープンキャンパスで展示される9面スクリーンです。奥行きのある9枚の画面が講義室に並びます。その上に映像を展開させることで、9枚の画面が、1面にも9面にも(それ以上にも)変化させることが出来ます。まさに空間を映像化し、映像を空間化した展示です。また、その奥行きをもった画面配置は、視点を固定していません。これも一般的なスクリーンでの上映を意図した映像とは異質です。この様にRINS-factoryで生み出される作品が、構成、展開できる範囲を広く持つことができる理由は、独特の映像作品へのアプローチがあるからだと思います。
 例えば絵画には実態が有ります。絵の具や、カンバスは平面状ではありますが、確かに物の実態です。絵画用語で「マチエール」というものです。画面を構成する支持体に描画材のもつ独特の厚みや、光沢を指すものです。その作家独特のマチエールが作品を構成する重要な要素になることもあります。映像にこの実質感、素材感を持ち込むことはできるのでしょうか。そもそも映像とは、映画や放送がそうであるように、物語や情報を運ぶ器でしかなく、記録されたフィルムやデータを、光や信号に変換し、モニタやスクリーンに再生したものです。そこに実質感、素材感を持ち込むことは不可能に思います。  では、絵画のマチエールとは何でしょうか。それは「本来の目的から派生した現象」です。作業上必要なものではなく、絵の具を画面に置く時に派生した厚みです。その効果を逆に利用し、表現の一部に取り込んだものです。RINSの作品は、これと同じように「映像の様々な領域から派生した現象」を表現に再構成したものです。  ここで表現される映像は、絵画のマチエールと同じく生理的な感覚で受け取ることができます。このことが、映像を説明的な表現から開放し、結果的に構成や展開を広範囲に持ち得る一つの要因になっていると思います。  では皆さん、9面スクリーンの前に身を置きましょう。光や音が視界の中に飛び込み、まぶたの中に触れてきます。映像の発する振動が、波のように押し寄せてくるはずです。物語や情報などを求めずに、体全体で映像を受けとめて下さい。作者それぞれの映像の質感に溺れる気持ち良さを肌で味わって下さい。


埼玉県立芸術総合高等学校

映像芸術科 教諭

黒澤秋史