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RINS-project 006


武蔵野美術大学
オープンキャンパス2008
「イメージフェノメナン|映像の新領域」展
2008.6.14〜15
日時:14日(土)10:00〜18:00
15日(日)10:00〜16:30
場所:1号館1F 103(第1講義室)

映像のマチエールを探す。


「映像」という言葉が指し示すものの定義は難しいと思います。社会の中で映像と呼ばれているものの多くは「情報」であり、映像はそれを運ぶ手段として使われているに過ぎないのかも知れません。では、映像に実態はないのでしょうか。映像そのものの魅力や存在感を表現することはできないのでしょうか。そのことにRINS-factoryは挑戦しているように思います。  その挑戦の一形態が「映像の空間化」です。典型的な例が、オープンキャンパスで展示される9面スクリーンです。奥行きのある9枚の画面が講義室に並びます。その上に映像を展開させることで、9枚の画面が、1面にも9面にも(それ以上にも)変化させることが出来ます。まさに空間を映像化し、映像を空間化した展示です。また、その奥行きをもった画面配置は、視点を固定していません。これも一般的なスクリーンでの上映を意図した映像とは異質です。この様にRINS-factoryで生み出される作品が、構成、展開できる範囲を広く持つことができる理由は、独特の映像作品へのアプローチがあるからだと思います。  例えば絵画には実態が有ります。絵の具や、カンバスは平面状ではありますが、確かに物の実態です。絵画用語で「マチエール」というものです。画面を構成する支持体に描画材のもつ独特の厚みや、光沢を指すものです。その作家独特のマチエールが作品を構成する重要な要素になることもあります。映像にこの実質感、素材感を持ち込むことはできるのでしょうか。そもそも映像とは、映画や放送がそうであるように、物語や情報を運ぶ器でしかなく、記録されたフィルムやデータを、光や信号に変換し、モニタやスクリーンに再生したものです。そこに実質感、素材感を持ち込むことは不可能に思います。  では、絵画のマチエールとは何でしょうか。それは「本来の目的から派生した現象」です。作業上必要なものではなく、絵の具を画面に置く時に派生した厚みです。その効果を逆に利用し、表現の一部に取り込んだものです。RINSの作品は、これと同じように「映像の様々な領域から派生した現象」を表現に再構成したものです。  ここで表現される映像は、絵画のマチエールと同じく生理的な感覚で受け取ることができます。このことが、映像を説明的な表現から開放し、結果的に構成や展開を広範囲に持ち得る一つの要因になっていると思います。  では皆さん、9面スクリーンの前に身を置きましょう。光や音が視界の中に飛び込み、まぶたの中に触れてきます。映像の発する振動が、波のように押し寄せてくるはずです。物語や情報などを求めずに、体全体で映像を受けとめて下さい。作者それぞれの映像の質感に溺れる気持ち良さを肌で味わって下さい。

埼玉県立芸術総合高等学校

映像芸術科

教諭

黒澤秋史

9画面スクリーンについて


 私は今から二年前、2006年の4月に大学院映像コースのRINS-factoryに入学しました。学部時代を現職場である駒沢女子大学の映像コミュニケーション科で過ごした私は、イメージフェノメナンについて何の予備知識もないまま、新入生として篠原、板屋両教授にお世話になることにりました。卒業制作時にスリットカメラという「時を連続的に記録する装置」を製作し、大学院でも引き続き、そのカメラを使用し「時の形を留める」表現について学ぼうと思っていました。しかし新学期、研究室の扉を開けるとそこで待っていたのは9画面スクリーンによる映像制作でした。  先生方から丁寧に過去の作品を紹介していただき、今まで見た事のない映像に感動と、同時に戸惑いを感じました。なぜ9つも画面があるのか。言葉や人物の登場しない映像はどのように構成されているのか。それは言葉の通じない外国に初めて降り立った人のように、心細いものでした。私は一旦それまでの制作を中断し、9画面スクリーン作品の制作を行う事にしました。  制作過程に於いて、私の環境がそれまでと大きく変化した事といえば、周りに人がいるということでした。皆別々の作品を制作しているのですが、共通のフォーマット(9画面)での展示を目指しているのですから、日常的に他の制作者の作品を見たり、話しをしたりする機会が増えます。それまで私は、「自分が自分の想う作品にどれだけ近づけるか」という事を念頭に制作をしてきたのですが、この集団的個人作業を通じて、「自分の作品は、これまでの映像表現に対してどうあるべきか」という意識へと変化しました。過去の作品を模倣するだけであれば、新たに作品を制作する必要はない。ブルーノ・ムナーリの著書に「芸術家とデザイナー」がありますが、RINSでの活動は、その両方を持ち合わせていたように感じます。一方で個人の意思があり、他方で「映像」という大きな流れに対しての考え方がある。9画面展示に挑戦した事のある人は、誰もがこの2つの間で揺れ動くのではないでしょうか。  また、9画面映像制作のアプローチとして、制作現場が美術大学である、という事も大きな役割を果たしているように感じました。これまで「映像」という領域はテレビや映画のドラマトゥルギー、カット編集に支えられ、その揺るぎない地位を確立してきました。しかし、視覚芸術という見地から今後映像がその表現手段としてどのような着地点を見いだして行くのかは現在も、この先も、試行錯誤を続けて行く必要があります。9画面展示はこの点に於いてもある立場をとっています。9画面とは映像投影のスクリーンである事と同時に、9枚の(または大きな1枚の)キャンバスでもあります。画家達これまで一枚のキャンバスに様々な時空間を留めてきました。9画面はある時は平面として、またあるときは奥行きのある空間としてその様相を変化させます。そして9画面という異系の展示形態は、その存在自体が彫刻物と同じように、展示空間である教室全体に影響を与えます。これまでの絵画、彫刻、建築などとの関わりにより、因果関係を持った上で9画面スクリーンはそこに存在しています。  在籍していたのはほんの二年間でしたが、RINSで過ごした経験は、この他にも語り尽くせないほど多くの感動と発見がありました。そして2008年3月、最終的に学部時からの研究課題「時の形を留める表現」から発展し「還元された時の表現」を修了制作作品として展示しました。水族館をイメージした馬蹄形空間に9画面映像を展示し、作品として一つの着地点に到達しました。2006年度のオープンキャンパスで確信的な答えを見いだせず、ただ漠然と自分の制作した映像を眺めた時から1年半、その時が作品としての完成系ではなく、あれがイメージフェノメナンとしての始まりだったのです。

駒沢女子大学 人文学部

映像コミュニケーション科

非常勤講師

石橋悠子

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